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名古屋地方裁判所 昭和41年(ヨ)1295号 判決 1969年5月26日

申請人 太田勇

<ほか二名>

右申請人ら訴訟代理人弁護士 尾崎闘士雄

同 坂本貞一

同 前島剛三

同 久保田昭夫

同 豊田誠

同 岡本敦子

同 萩原健二

同 秋山泰雄

被申請人 名鉄運輸株式会社

右代表者代表取締役 井上鮓二

右被申請人訴訟代理人弁護士 本山亨

同 水口敞

同 岩瀬三郎

同 高橋正蔵

主文

一  申請人らが被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二、被申請人は昭和四一年七月五日から毎月二八日限り申請人太田勇に対し金四一、八二〇円、申請人水野潔に対し金二五、五三〇円、申請人吉原忠正に対し金三二、〇一〇円を仮に支払うべし。

三、訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

申請人らは主文と同旨の判決を求め、被申請人は「申請人らの本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は申請人らの負担とする。」との判決を求めた。

第二申請人らの主張

一、被申請人は自動車による貨物の輸送を業とする株式会社であり、申請人太田勇は昭和三五年五月二一日に入社し名古屋市内中川営業所において長距離輸送業務に、同水野潔は昭和三九年四月二一日入社し、四日市営業所に勤務しオペレーター業務に、同吉原忠正は昭和三六年九月二一日入社し、前記中川営業所において集配車業務にそれぞれ従事していたものである。

二、ところが被申請人は昭和四一年七月三日申請人らに対し申請人らを就業規則第三四条二号、第三三条四号により同月四日付で解雇する旨の意思表示をした。(右規則第三四条二号は「会社は組合員である職員が組合から除名されたときは組合と協議して解雇することがある」旨規定し同第三三条四号は「職員が第三四条の各号により解雇されたときは解職する」旨規定されている。)

三、右解雇の意思表示は次の理由により無効である。

≪以下事実省略≫

理由

一、申請人ら主張の第一、二項の事実は解雇の意思表示をなした日時及び解雇理由に就業規則第三三条九号が適用されたかどうかを除いてその余は当事者間に争がなく、≪証拠省略≫によれば解雇通知書を被申請人が発送した日は昭和四一年七月二日であることが認められ、従って右通知書が申請人らに到達したのは翌三日であると推認できる。そして≪証拠省略≫によれば被申請人が申請人らを解雇した理由は就業規則第三三条九号をも適用してなされたものであることが認められる。

二、よって先づ解雇理由中就業規則第三四条二号、第三三条四号(組合から除名されたことを理由とする解雇)適用の当否について判断する。

被申請人の管理職を除く全従業員が従前全自運名鉄支部の組合員であったこと、昭和四一年三月一九日の第七回臨時大会において全自運から脱退する旨の決議がなされたこと、同年四月四日申請人ら主張のとおりの役員選任の通知が申請人らから被申請人に対しなされたこと、申請人ら主張の日ごろ団交のあっせん申請が愛知地労委に申立てられたこと、名鉄労組が申請人ら主張の日ごろ申請人らを除名する旨の決議をなしたうえ、申請人らを除名を理由に解雇するよう被申請人に要請し、被申請人が右要請に基づいて申請人らを解雇するに至ったこと、以上の事実は当事者間に争がなく、≪証拠省略≫を総合すると本件除名決議が名鉄労組においてなされるまでの経緯は次のとおりであることが認められる。

(一)  従前の全自運名鉄支部

全自運名鉄支部は昭和三六年一〇月以前は名鉄運輸労働組合と称していたが、これは当時全自運愛知地方本部に組織加盟していた二つの労働組合(被申請人の旧称号である蘇原運輸株式会社とこれに吸収合併された半田通運株式会社の各労働組合)が同年三月統合されたものであった。右各労組はいずれも当初から企業内組合として結成され愛自運連合会に組織加盟していたが右連合会の上部団体である全自運連合会が昭和三五年一〇月全自運と名称変更されるに従い愛自運連合会も全自運愛知地方本部と名称変更した。そしてこれに伴い名鉄運輸労働組合も全自運名鉄支部と改称した。

このような一連の名称変更は全自運連合会が当初トラック運輸労働者の全国的な産業別連合体としての労働組合として発足したのに対し、昭和三四年から産業別単一労働組合を建設することに方針を切り換え、自らを全自運、傘下の各労組を各支部とし、その中間に一地域内の支部を単位とした地方本部を置くこととして機構の整備をすすめたことに起因していた。そして昭和三八年三月施行の全自運規約に個人加盟を原則とし団体加盟を例外とする旨規定し(規約第六条)これによって過渡的に連合体的性格を残しながら組織の単一化を進めることになった。

しかし右のように全自運が単組化を打ち出したものの、現実には組織加盟の労組が相当数残存していた。(昭和四一年九月施行の改正規約により個人加盟方式に一本化されてから漸く名実共に個人加盟となった。)

全自運名鉄支部は前記のとおりその前身である二つの企業内労組時代に全自運連合会に組織加盟したもので、名鉄支部と名称変更後もその性格は変らず個々の組合員の氏名は全く届けられず、人数だけが、それも内輪に名鉄支部として愛知地本に届け出られ、組合費も届出られた人数分だけ納入されていた。

(二)  全自運脱退決議

昭和三九年ごろから全自運名鉄支部組合員の一部から全自運脱退の動きが始まり、同年一〇月の支部大会でその旨の発言がなされ、加えてそのころ被申請人の社内報にも全自運が斗争至上主義で好ましくない旨の会社幹部の発言が掲載されたりしたことと相俟って昭和四〇年一〇月一六、一七日の第六回定期大会において執行部から全自運脱退の提案がなされたが、賛否両論の議論が対立し、代議員中相当数の退場者が出たりしたため採決は保留され、執行部において更に検討することとなり、同年一一月一五日の続会大会では脱退しないで現状維持とすることが定った。しかし執行部は全自運が斗争至上主義であるとし強硬に脱退問題を推進しようとし、昭和四一年三月三日の支部組合中央委員会において脱退問題は全組合員の投票により定めるとの決定をなし、同月七日から一〇日までの間に全員投票を実施し、その結果は組合員総数二、八六七名中脱退賛成者二、一七九名、脱退反対者四九五名であった。そして同月一九日第七回臨時大会を開き代議員数約一二〇名中賛成約一〇四名、反対七名、中立七名で名鉄支部組合が全自運から脱退する旨の決議をなし、同時に名称を名鉄労組と改称する旨の決議をなし、その直後に執行委員長永井栄助名義で愛知地本委員長宛に支部組合脱退届が提出された。

そこで脱退決議に反対する申請人ら約二〇〇名は全自運に残留するべく右大会当日再建準備委員会を開き申請人ら主張のとおり同年三月二八日東京において脱退反対組合員五名に一名の割合による代議員が参集し独自の大会を名鉄支部第七回臨時大会の名称の下に開き同年四月三日宇都宮市において右大会の続会を開き、(イ)全自運名鉄支部を存続させる、(ロ)組合員財産のすみやかな引渡を求める、(ハ)組合員名簿提出と同時に斗争積立金の返還を求めることを決定し、新役員を申請人ら主張のとおり選出し、翌四日名鉄労組に対し、右決定を申入れ、右役員を通告し、同日又被申請人に対し、全自運名鉄支部の存続を確認した旨と被申請人に対する諸要求を申入れた。そして申請人らは全自運名鉄支部の名称をもって被申請人に対し同月一四日団交を申入れたが、被申請人はその存在を認めずこれを拒否し、愛知地労委に対する団交のあっせん申立も不調となった。この間名鉄支部と称する申請人らの組合員数は当初の二〇〇名余から八七名となり、同月二一日に申請人らから右八七名の氏名を記載した名簿が被申請人及び名鉄労組に提出されたが、名鉄労組からの説得工作により名鉄労組に復帰する者がふえ、遂に名鉄支部組合員なる者が三三名に減少した。

そして昭和四一年四月一三日名鉄労組中央委員会は規約に基づき申請人らを含む前記支部役員六名を組合の統制違反を理由に除名処分に付し、同月一六日その旨を申請人らに通知すると共に、併せて統制違反行為を止めるならば再考することを通知し、同年五月一三日中央委員会において右除名処分を最終的に確認決定し、かくて名鉄労組は同年五月一九日被申請人らに対し申請人らは同年五月一三日限り除名された旨及び右除名を理由に解雇することを要求するに至った。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三、以上認定した事実によれば従前の名鉄支部は全自運に単一組合として組織加盟していたことは明らかであり、昭和四一年三月一九日の第七回臨時大会の脱退決議に基づき支部組合脱退届が地本委員長宛提出されたことは前認定のとおりであるからこれにより名鉄支部は全自運から単一組合としての組織体として脱退したものというべきである。(労働組合からの脱退はその旨の通告だけで効力を生じたとえ規約上組合機関の討議を要すると定められていても同様に解する。)

従って名称変更により名鉄労組となった組合は従前の名鉄支部とその同一性を保持している組合と認むべきであるから、脱退決議に反対している申請人らも当然に右名鉄労組の組合員であるというべきである。申請人らは従前の名鉄支部は申請人らの名鉄支部と名鉄労組の二つの労組に分裂したと主張するけれども、従前の名鉄支部の前記脱退決議の前後において右組合が民主的な多数決制による正常な組織運営が不能になるとか又は著しく困難になるとかいう事情は少しも認められないから申請人らの右主張は採用できない。

しかるところ脱退決議に反対する申請人らは従前の全自運名鉄支部を存続させることを主張し名鉄労組には加入しないことを申合せ独自の大会を開き独自の役員を選任し、その旨を被申請人及び名鉄労組に通告し、名鉄労組とは別個に独自の労働組合としての活動を開始しているところからすれば、申請人らの右活動は、その内心は如何にあれ、名鉄労組内の分派活動現象と云わねばならない。しかしながら申請人らは昭和四一年四月四日名鉄労組に対し前記のごとき申入をしているから、右申入事項はその反面において申請人らが初めから名鉄労組の組合員ではない旨を表明しているものと見られるから、右申入は実質上は、申請人らが名鉄労組から脱退する意思表示をも包含しているものと解するのが相当である。

従って本件除名決議がなされた昭和四一年四月一三日ないし右除名処分が最終的に確認決定された同年五月一三日の時点においては申請人らは既に名鉄労組の組合員ではなくなっていたものといわねばならない。

そうすると名鉄労組のした申請人らに対する除名処分は既に脱退してその所属組合員でなくなっているものに対してなされたものというべきであり、組合員でない者に対する除名処分ということは論理上あり得ないわけであるから、除名処分としての効果を生ずるに由ない。

従ってユニオンショップ協定の有無につき判断するまでもなく被申請人は申請人らを解雇することはできない道理である。

四、つぎに就業規則第三三条九号のいかなる業務にも不適当と認められたときは解雇する旨の規定の適用の当否について判断する。

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(一)  申請人吉原については具体的に業務阻害行為と目し得るものは存しなかった。

(二)  申請人太田は昭和四一年四月中旬から同年六月中旬にかけて一八日間出勤しなかったが、その明細は四月は公休(日曜等)四日、祝日一日、欠勤一日であり、五月は年休(年次有給休暇)五日、公休五日、祝日四日であり、六月は年休六日、公休四日であった。(被申請人会社ではあらかじめ年休については休暇券が従業員に交付されておりこの券を添えて年休届を出す定めになっていたので、申請人太田はこの休暇券を添えて年休届は出していた。中川営業所では後記のように業務に支障を来たしはしたものの申請人太田に不利にならぬようにとの配慮から正規の欠勤扱は一日のみとし年休届はすべて承認という処理をしていた。)

申請人太田は右一八日間は名鉄支部委員長として名鉄労組からの組合きりくずしの働きかけに対応するため宇都宮、京都等の各営業所の有志との打合わせ連絡のために右各地に赴いた。

申請人太田が右のような休暇ないし欠勤をしたことにより東京線が一回、北陸線が二回欠行し、他に休車が六回あった。又申請人太田は六月一六日宇都宮営業所において所長の許可なく従業員の有志と二時間程集会を開いた。

(三)  申請人水野は四日市営業所において昭和四一年六月二五日夜勤の有給休暇届を所属上司の机の上に置いたままで事前許可を得ることなく休暇をとったが、上司がこれを発見し代行者の手配をしたので別段業務に支障は来さなかった。

その他四日市営業所の従業員申請外江藤某が申請人水野から名鉄支部の組合員となるよう勧誘された件について申請外江藤から同営業所長に同人が承諾の返事をしないのに名鉄支部の組合員名簿に同人の氏名が登載されているとの申立がなされたことがあった。

(四)  被申請人ら主張の日ころ宇都宮営業所においてその主張のとおりのブレーキ故障による自動車の暴走事故が発生した。また同営業所において被申請人主張の日ころ、申請外福田、同菊島らが全自運脱退に反対して、名鉄労組の従業員に対し多少暴言を吐いたことがあった。

以上の事実が認められ他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

しかしながら前記暴走事故が申請人らの作為による計画的犯行であると認めるに足りる疎明も、被申請人主張の三月三〇日及び四月二四日の宇都宮営業所における申請外福田及び同菊島の言動が脅迫行為にあたり且つ申請人らがこれに加担していると認めるに足りる疎明も、申請人水野が申請外江藤を名鉄支部組合の名簿にその承諾なきを知りながら故意に登載したと認めるに足りる疎明も存しない。

そして以上に認定した申請人らの所為を目して就業規則第三三条九号所定のいかなる業務にも不適当と認められたときに該当するとなすことは到底できない。

特に申請人太田の通算一八日間に亘る不出勤は結局のところ欠勤としては一日のみに過ぎないのであって、≪証拠省略≫により認められる就業規則第三三条五号無届欠勤一五日に及んだときは解職する旨の規定との対比からしても申請人太田の右所為を目して同条九号にあたるとすることは到底できないと考える。

もっとも申請人らの属する名鉄支部と名鉄労組との間に組合員の獲得をめぐって紛争が発生し、それがため職場までその余波が及んだであろうことは容易に推測できるところであるが、右紛争は先に認定したとおり上部団体からの脱退問題の賛否をめぐって労働組合としていかなる態度方針によるべきかという意見が従前の名鉄支部の内部で深刻に対立し、その結果申請人らが名鉄支部と称する新組合を結成したことに起因しているのであるから、そのために被申請人が右紛争の余波を受けて多少業務に支障を来たしたとしてもその支障の程度が先に認定した程度のものであれば労働組合法第七条一号の趣旨から考えても被申請人としてはこれを受忍すべきが当然である。

被申請人の全疎明によるも申請人らの所為により著しく業務が阻害され、職場秩序が混乱したと認めるに足りない。

≪証拠判断省略≫

従って就業規則第三三条九号を理由として申請人らを解雇することも又許されない道理である。

以上の次第であるから本件解雇はその余の点につき判断するまでもなく解雇事由のない解雇として無効というべきである。

五、つぎに申請人らが本件解雇当時申請人ら主張のとおり賃金を毎月二八日に支払を受けていたことは当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によれば申請人らは右賃金のみによって自己及びその家族の生計を維持して来たものであり、被申請人から右賃金の支払のないまま本案判決の確定をまっていては著しい損害を受けるおそれがあることが推認でき、これに反する疎明は存しない。

六、してみると本件仮処分申請は被保全権利及び必要性が疎明されたものというべく、申請人らがいぜんとして被申請人に対し雇傭契約上の地位を有することを仮に定めること、及び解雇された日の翌日である昭和四一年七月五日から毎月二八日限り申請人らの当時の賃金の仮払を求める本件仮処分申請はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西川力一 裁判官 松本武 鬼頭史郎)

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